サントリーホール「ある子守歌」 

 

 

NA:ヴァイオリニストの二村英仁さんは、

  演奏旅行中訪れた、イスラエルの博物館で、一枚の楽譜に出会います。

 

  それは、わずか25才で、ホロコーストの犠牲となったピアニスト

  ギデオン・クラインが

  自分の運命を知った時、書き残した曲でした。

  

      (M)二村さんの演奏で『子守歌』〜

 

  ララバイ。

 

  収容所で綴られたその曲は、

  怒りをあらわしたものでも、

  絶望に満ちたものでもなく、

 

  まるで、母の胸に抱かれるような、やさしい「子守歌」でした。


 二村さん「クラインはやっぱり最後に、自分の故郷、それから自分の母、

     自分の帰る所・・それを

     求めていたんだなと、思います。」

  

 NA:二分の一しか残されていなかった子守歌の楽譜。

  その残りを、二村さんは探し続け、ついにチェコで、見つけます。

 

  そして、完全な形で、初めて演奏したのは、サントリーホール。

  クラインの想いは、永遠の命を得て、ホールに響きました。

 

 二村さん「こういう事があった事を、風化させないことが一番大事なことで、

     それを知ったからには、伝えていかなければいけないし、

     それが、唯一、この世の中で音楽をやれる僕たち

     それから、生きている僕たちができることなんじゃないかなと

     思います。」

 

 NA:音楽を楽しむ事のできる世界を、今日も。

   そして・・いつまでも・・  

   サントリーホール。

 

 

第5回ニッポン放送CMグランプリ/グランプリ受賞